2017/07/20
カルドセプトはすごい。何がすごいって、近年これほど現実世界をシミュレート「していない」ゲームもめずらしいのではないか。
たいていのゲームは、ゲームに登場する事象について現実世界に照らし合わせることができる。例えば、シューティングなら戦闘機に乗って空中戦をやることを、RPGなら英雄になって敵と戦いながら成長していく冒険を、シミュレーションゲームなら…言わずもがなである。あのモ○ポリーでさえ、土地を買い占めレンタル料を取っていく経済活動をシミュレートしたものだと言える。
では、カルドセプトはどうか。表面的にはシミュレートとも見えるだろう。だが、根幹に関わる部分であるあの「土地」…あれはいったい何を表しているのか?なぜ町の中にあんなにいろいろな地形があって、さらに城や砦まであるのか?地形効果とはいったいなんだ?通行料とはいったい?
結局のところ、カルドセプトが何かをシミュレートしたくて作り出されたものでないことがこの原因となっている。同じようにシミュレートでないゲームには一連の対戦パズルゲームや、将棋(本来はシミュレーションだったのだろうが、今やその面影はない)などが挙げられる。またトランプゲームや、子どものころよくやった「だるまさんがころんだ」みたいなものもそうだ。
これらシミュレートしないゲームの多くは「面白いこと」を最終目的とし、ルールにルールを重ねて作られたゲーム性主導のゲームなのだろう。面白さ、と言うかギミックがむき出しになっていて、装飾は少ない(将棋の駒と駒が合わさった時にいちいちヴィジュアルシーンが差し込まれたらうっとーしいだけだ)。まあ、現在の尺度からすれば原始的なゲームと言えるかもしれない。
カルドセプトは経緯や主旨から言っても、これらの「ゲーム性主導型ゲーム」に含まれると思う。これからプレイする方はそれを心に留めて、「これは何を表しているんだ?」とかいう突っ込みはしない方が楽しめるだろう(または各自が解釈して欲しい)。確かなのは、カードを使って戦っている、ということくらいだ。
ただ、これを聞いてがっかりした人(設定マニアの人とか)もいるかもしれないので、ちょっとフォローを。ガンハザードの設定補佐を仰せつかったころから「こじつけのJin」という名をほしいままにしてきた(ウソ)この私だ。実は企画の初期段階では土地や通行料などについても、自分なりの解釈はあったのである。
当初、一つのマップはもっと広い領域を表していた。一般的なファンタジーシミュレーションゲームのように、一つの国とか大陸を表すくらいのつもりだったのだ。だから、地の土地といえば森を、水の土地といえば湖を…という具合に、そのものを表していた。セプターはそれらの場所から魔力を得たり、カードを探したりするために大陸を旅して回る。同時に他のセプターが魔力を得るのを妨害するためにクリーチャーを配備する。敵がその領地を通る時は、クリーチャーの追撃を振り切ったり、隠密行動を強いられるため魔力を消費する(=通行料)。地形は魔力を注ぎ込むと、属性の力が増大し、より多くの魔力を生み出す。その土地を住処とするクリーチャーは、より地の利を生かして戦えるようになるためダメージを受け難くなる(=土地のレベルアップ)。
これらの設定は、ゲームとして作り上げられていく間に、いろいろな要因…例えば、上記のマップだと、ステージ毎の見た目の差が出しにくくなる…によって、今の形になった。こういう風に設定にあまり執着が無いところからも、結局カルドセプトはゲーム性主導のゲームなのだ、ということが分かるのである。